先日、みんなの女子トーク【公式】さんの
インタビューを受けさせて頂きました!
在宅フリーランサーとしてご活躍中の「あや(@ayamama_free)」さんがインタビューを受けてくださいました。
現在の成功までの過程、これから収入を得たい人への心構えなど、貴重なお話が満載です!https://t.co/vJegUonh2U— みんなの女子トーク【公式】 (@minjoshi_talk) June 30, 2022
頂いた感想の一部です!
ありがとうございます!!
↓↓
はじめまして、あやです(^^)
私のブログにご訪問頂き、
ありがとうございます!
ここでは私のプロフィールを
紹介させて頂きますね!
週5で8時間勤務、家に帰れば家事育児で休みの日なんてない。こんな日常から抜け出せないかとブログに挑戦するも詐欺られ挫折。でもWebマーケを学んだら2ヶ月後に初収益。さらにその2ヶ月後には10万稼いで今は在宅フリーランス。ママでも自由になれる!
— あや🌸好きなことするママ (@ayamama_free) August 19, 2021
2017年2月
旦那の転勤辞令が出た時、
私は次女を妊娠中。
重たいお腹を支えながら、
正社員のアパレル販売員として
2歳半の長女を育てながら
働いていました。
そして2017年3月
32年間過ごした地元愛知から
全く土地勘のない静岡に引っ越し。
その後、
2017年7月に
転勤先の静岡で次女を出産。
育児しながら働くことに
限界が来ていた私は、
2020年8月に
ネットビジネスをスタート。
2021年1月に
副業月収10万を超えました。
2021年4月からは
在宅でフリーランスとして
自由に仕事をしています。
フリーランスになってからは、
好きな時間で働くことが
できるようになり、
時間を取って自分の人生と
しっかり向き合えるように。
そして、ビジネスの勉強を通して、
「自分らしく生きたいママの
力になりたい」
という、やりたいことも
見つかりました。
2021年7月、静岡に来て
丸4年を過ぎた時、
また旦那に転勤辞令が。
今度は静岡から
地元愛知に戻る形で
引っ越し。
(引っ越し中の車の中で爆睡する娘達)
今は地元愛知で
自由な生活ができてますが、
以前はワンオペ育児で
うつ病寸前。
笑うこともできず、
家族に八つ当たり
する日々。
現状から抜け出したくても
うまくいかず、
ずっと暗闇のなかで
迷子の子供のように
もがいていました。
そんな私がどうやって
暗闇を抜け出したのか?
どんな思いで今、
発信を続けているか?
そういったことも
自己紹介の中で
お話していきたいと
思います。
母親になってから
自分の生き方に悩んでる方。
今の自分の生き方に
何か違和感を感じる方。
そんなあなたに
参考になるはずです。
是非最後まで
お付き合いください。
目次
兼業農家の家に生まれる
私は1985年5月に
愛知県で生まれ、
2021年8月の現在、36歳。
私の父は会社員をしながら
実家の田んぼを手伝っていて
いわゆる兼業農家の家庭で
育ちました。
田舎ならではの
ご近所づきあいも沢山あり、
近所の人がフラッと来て、
「こんにちは~」と勝手に
玄関を開けたり(笑)
取れた野菜を頂いたり、
こちらからも渡したり
なんてことも良くありました。
うちの実家は2世帯の
完全同居なんですが、
近所の友達も
おじいちゃんおばあちゃんと
暮らしてる子が多く、
それが当たり前な環境で育ちました。
(※注 これは実家ではありません 笑)
私の母は、父の家に
嫁いできたのですが…
段々と母から
笑顔がなくなって
いったんです。
それもそのはず、
血縁関係のない義理の親との
気を使う生活に加え、
農家の仕事の手伝いに
家事育児。
それで疲労が重なり、
元気がなくなっていったのです。
最初は家族の団らんも
ありましたが、
少しずつ母から笑顔が消えていき、
会話が少なくなっていくのを
子供ながら感じていました。
そして父や祖母とも
よく衝突をするように・・。
父は、なかなか長期休みを
取ることができず、
家族で出かけるということ
はほとんどなかったです。
さみしかった私は、
友達と遊ぶことで
それを紛らわそうと
してました。
寂しい少女時代を過ごしていた
私も、24歳の時に優しい彼に出会い、
27歳で結婚。
それと同時に
実家を出ました。
29歳の時に長女、
32歳の時に次女を出産。
2人の子供にも恵まれ、
現在、小学1年生の長女と、
保育園年少の次女、
そして旦那と家族4人で
笑いあり涙あり、
騒がしく楽しく
毎日過ごしています。
最近は、娘達はパパと
相撲を取るのにハマっていて、
旦那は
『娘相手でも負けたくない!』と、
勝負に勝ってしまうので
よく娘達は泣かされています。
(それをなだめるのは私・・・)
長女はしっかり者で
よく気が付き、
『ママ、畳んでおいたよ』
と、リビングに山になった
洗濯物をたたんでくれたりして、
私を支えてくれてます。
(手紙でも洗濯物を畳む宣言してくれた…涙)
一方で次女は、
自由奔放な性格で
長女と喧嘩して
泣いていたと思ったら
『ママこれ描けた!』
と一瞬で立ち直り
絵を描いていたり、、
その時“やりたい!”と
思ったことに一直線。
そんな、何気ない日常に
幸せを感じています。
私は今、パソコン1台で
仕事をしているので
旦那の転勤で静岡から愛知に
引っ越す時、
キャリアを中断することなく
ついていくことができました。
娘達がそれぞれ
学校、保育園に行ってる間は、
自分の成長のため、
ビジネスの勉強をしたり、
気分が上がるお気に入りの服を着て
カフェに行き読書したり…
母親としてだけではなく、
1人の女性としても
満たされた毎日を過ごしています。
娘達は小学校、
保育園が変わったので
身の回りのことや、
精神面でのフォローの
必要もありましたが、
仕事はいつでもできるので
しっかり娘たちの新生活の準備、
フォローをすることができました。
そして、
フリーランスになった時に
自動化の仕組みを作ったので
自由な働き方をしながらも
収入を維持。
さらに、今までの生活だったら
絶対出会えなかった
ビジネス仲間もできました。
同じように頑張る
仲間がいたり、
学んだりすることは、
「めちゃくちゃ楽しい…!最高!」
「毎日新しい発見があって刺激的!」
です(^^)
しかし、私は元々すごい才能が
あったわけでもなく、
やりたいことなども見つけられず、
ずっと他人に流されて
生きてきました。
さらに、
母親になってから自分の時間が
取れなくなったことで
ストレスが溜まり、
家族に当たる日々。
“こんな状況では家庭崩壊してしまう!”
自分の働き方をまず変えようと
検索し続け、たどりついたのが
ネットビジネス。
最初はうまくいかず、
何回も壁にぶつかりましたが
辞めるという選択肢は
ありませんでした。
そしてついに自分の商品を持ち、
自動化の仕組みが完成!
事務のパートを辞め、
フリーランスになることが
できました。
「諦めなければ
理想の生活は手に入る…!」
そう身をもって
感じた瞬間でした。
そして、私はビジネスを始めてから
気づいたことがあります。
「私は自分の人生を歩みたい」
「ライフワークを持ちたい」
心の奥底の本当の気持ちが
湧き出てきました。
そして、
以前の私のように、
・本当は自分らしく生きたいけど
どうしたらいいか分からない
・家庭のためだけに仕事して
人生楽しめてない
そう感じてる方に、
「自分らしさ、人生の楽しさを
見つけてほしい!」
と思うようになりました。
私はビジネスで
人生が変わりました。
ここからは、
- 私がなぜママでも自分らしく
生きて欲しいと考えるようになったのか - なぜネットビジネスを発信しているのか
あなたが、今の生き方に
疑問やモヤモヤを感じている
のであれば参考になるはずです。
私の全てを隠すことなく
お話していきたいと思います。
流れに身を任せた青春時代
“高校に行くのが当たり前だから“
という世間一般の理由で
高校に進学。
特に行きたい高校も
なかったので、
“制服が可愛い”
という理由だけで
高校を決めました。
高校3年になり
進路を決める時も、
“みんな進学するから“
という理由だけで
短大に進学することに。
目的もなく入ったので
勉強に身が入らず、
毎日遊んだりバイトしたり
していました。
(短大時代の友達と、名古屋の花火大会に)
さすがに卒業できないのはマズイと、
何とか単位をとり、卒業。
そして就職するのですが、
この時も
“大手が安心”
という世間一般の
常識に流され、
短大卒、資格無しの私でも入れる
大手アパレル会社を選びます。
私は自分のやりたいことが
見つからず、
ただただ、周りに流されて
過ごしていました。
後輩に先に出世される落ちこぼれ社員
(入社してすぐの頃 同期と)
“大手は安心”
という安易な理由だけで
入った会社。
「うぅ…。。行きたくない。」
「今日も残業確定じゃん…。」
と、毎日憂鬱に出勤。
適当に選んだ会社で、
仕事に熱が入るわけでもなく、
「私はアパレルは向いてないな…」
「早番遅番とかやってらんない」
と思っていたので、
研修や、先輩からの指導も
全て受け身。
何回教わっても
成長しない
手のかかる
落ちこぼれ社員でした。
そんな私にも
直接指導する
後輩ができます。
同じお店で働き、
先輩後輩という関係ながらも
仲良く仕事をしていました。
それから
1年ほど過ぎた頃、
上司から、
今度オープンする新店は
後輩を店長に迎えると
聞かされました。
…そう。後輩に先に
出世されたのです。
後輩からは、
『今のお店より規模が小さいから
私が選ばれたんですよ!』
と気を使われる始末…。
後輩に先を越された
という現実は、
やりがいも目標もなく
働いていた私の自信を
さらに無くし、
「仕事もできないしやりたいこともない」
「私の取柄っていったいなんだろう…」
深くどんよりとした気持ちが
大きくなっていきました。
憧れの気持ちは封印
どんよりと暗くて重たい
感情を抱えながら、
でも、“辞めたい”
と言う勇気はなく
気づけば入社して
11年目になっていました。
アパレル販売員歴
11年の間に、
当時付き合っていた旦那と、
交際3年目の
27歳の時に結婚。
私は結婚してからも
フルタイムで働いていたので、
主婦になったという感覚は全くなく、
旦那と私のそれぞれの
生活リズムがあったので
結婚したというより同居してる、
という感覚でした。
そして、29歳の時に
長女を出産。
出産した時は、無事に
産まれてきてくれた感動と、
自分が母親になったという
不思議で信じられない気持ちや
不安な気持ち、
出産がやっと終わったという
達成感…
色んな感情が一気に
押し寄せました…。
その後、旦那の給料だけじゃ
生活が厳しいので
私は産休・育休を使い、
職場復帰。
「私はいつまでずるずると
今の仕事続けていくんだろう」
という思いを抱えながらも、
そこから一歩踏み出し、
環境を変える勇気がなかった私は、
そのまま働き続けていました。
仕事にやりがいが持てず、
全て受け身の姿勢だった
私でしたが、
一方でイキイキと働いてる
当時の店長を見て、
「かっこいいな・・・」
と心ひそかに
思っていました。
自分の仕事に誇りを持ち、
いつも前向き。
“店長に選んでもらいたい”
というお客様もたくさん。
知識も豊富で、とても
頼りがいがある。
「こんな風になれたら…」
という気持ちが
少し芽生えるも、
「イヤイヤ、店長だからできたんだ」
「私なんかには無理」
と、すぐ自分の気持ちを否定し
憧れの気持ちに
フタをしていました。
旦那の転勤で静岡へ
相変わらず重たい気持ちで
仕事を続けていたある日、
昼休憩をとっていた時に
旦那から一通のLINEが。
『全く予想してなかったんだけど
転勤になった!場所は静岡だよ』
それを見た瞬間、
「え!!?やった!!!!仕事辞めれる!
めちゃくちゃ自然な理由で辞められる!」
と、私は心の中で
ガッツポーズ!!!
私はその時、
二人目を妊娠中だったので、
「旦那だけ単身赴任という
選択肢はなく、家族で過ごしたい」
「これを機に家族、旦那を支えていきたい」
と上司に伝え、退職。
11年間、常に抱えていた
✓仕事での人間関係のストレス
✓やりたくない仕事をする辛さ
✓自分には向いてないと思いながら
働くしんどさ
からついに解放されました。
そして、静岡で新たな生活が
始まります。
旦那は転勤してすぐ
新しい部署で仕事開始。
私は妊娠6ヶ月を過ぎていて、
重たい体をなんとか動かし
部屋を片付けたり
役所に行ったり。
生活を整えた後は、
2歳半の長女の育児をしながら
過ごしていました。
そして、
引っ越してから4ヶ月後、
次女を出産!!
2人育児がスタート!
次女が生まれたことは
とても嬉しいです。
しかし私は、
「あぁ…。。これから
1人で2人の娘の育児をする
日々が始まるのか…」
と重苦しい気持ちで
いっぱいでした。
旦那は激務で
朝早く、帰宅が遅い。
さらに、全く
知り合いのいない土地で
気軽に相談できる人もいない。
そんな状況で、
3歳手前のイヤイヤ期
真っ盛りの長女と、
まだ目が離せない次女を
1人で見なくてはいけない。
「1人でこなせる自信がない…」
「手をあげてしまわないか不安」
考えれば考えるほど、
不安と恐怖に
押し潰れそうになりました。
その嫌な予感はやはり的中。
娘達の遊べる施設を探し、
支援センターに2人を連れて
行っていましたが、
イヤイヤ期の長女は、
ちょっとしたことで火がついたように
泣き叫ぶことが日常茶飯事。
せっかく長女のことを思って
朝から家事をしながら
出かける準備をし、
2人を連れて電車に乗り、
大変な思いして遊びに
連れて来てるのに
まったく遊ばず
ひっくり返って
大泣きするばかり。
「周りの親子は楽しそうなのに
なんでうちだけ…」
「私だけ髪も服も適当で…。
なんにもできなくて恥ずかしい」
「もう消えていなくなりたい…!!」
私は追い詰められて
いきました。
「今まで仕事と育児で大変だったけど、
子供と離れる時間があった。
その方が私はいいのかも。
1日中子供と一緒は私には無理なんだ」
そんな風に考えるように
なっていました。
そして、
旦那1人の給料じゃ生活が
きつくなってきたこともあり、
娘2人を保育園に預けて
働きに出ることに。
次、またいつ転勤になるか
分からないのと、
アルバイトより時給がいい、
という理由で、
派遣社員として
働きます。
“残業無し・土日祝休み”で
希望を出すと、
事務職を紹介して
くれました。
全くパソコンを
使ってこなかったので
不安はありましたが、
前々から
「パソコン使えるように
なったらいいよなぁ」
と思っていたので、
紹介してくれた仕事を承諾。
またワーママとして
の生活が始まります。
ワンオペの辛さは変わらなかった
保育園も無事決まり、
娘達を預けて
私は職場に出勤!!
アパレル会社を辞めてから
約1年ぶりの仕事!
久しぶりの一人時間!
「自分一人で行動するのって
こんなにもスムーズだったんだ」
「ごはんをゆっくり食べられる
なんて幸せすぎる」
“ママ”ではなく“あやさん”
として接してもらえる。
大人と会話できることに
嬉しさを感じていました。
仕事に行くことで、
“少し自分らしさを取り戻せたかな“
と感じていましたが、
ワンオペの現状は
変わっていないので、
相変わらず
私が保育園の送り迎えをし、
ごはんの準備、片付け、
お風呂、寝かしつけ…
他にも、洗濯や掃除などの家事も
全て私がやっていました。
平日は、仕事と
最低限の育児と家事で
精いっぱいなので
休日にやり残した家事や、
保育園からの連絡事項の確認など
まとめて処理。
旦那も土日休みでしたが、
平日の激務で失った
体力を回復させていたため、
週末も一人で家事育児を
こなしていました。
「旦那は私より大変だから仕方がない」
と自分に言い聞かせて
いましたが、
私も余裕がなくなっていき、
「なんで私ばかり仕事も家事も育児も
全部やらなくちゃいけないんだろう」
「仕事は大変かもしれないけど、
人生の主役が自分のままで
いられてうらやましい」
「私ばかり自分を犠牲にしている」
と段々ストレスが
溜まっていきました。
娘たちが
『ママー!』と
呼ぶ声が辛くなり、
『遊びにいきたい!』と
言われても
「ママ疲れてるから」
と連れてって
あげられず。
本当にやることが多すぎて
疲れが取れない毎日だったので
遊んであげる余裕が
ありませんでした。
派遣の仕事は、
誰でもできる簡単作業。
残業も責任もないので
とても働きやすい。
しかし、
誰でもできる仕事なので
やりがいは全くない。
ただお金のために
育児から逃げるために
働いている感覚。。
さらに、
余裕のない私は子供に、
「もう!早くして!」
「ママだって疲れてるんだから!」
と当たってしまって自己嫌悪。
「また子供に当たってしまった…」
「私は母親には向いてない…」
「私はいったいなんのために
生きてるのか…?」
気づいたら、
かつての自分の母親のように
笑えなくなっていました。
そしてついに、旦那に
不満をぶつけます。
「私ばかり辛いんだけど!!」
「男親には分からないだろうけど!!」
「毎日が楽しくない!」
「もう何もしたくない!!」
旦那も仕事でストレスを抱えて
大変なことは知っていました。
それでも、出来る時は、
『大丈夫?何かやること
あったら言ってね』
と声もかけてくれるし
『子供たちを連れ出すから
休んどきな』
と、気を使ってくれてました。
本当は優しい旦那だって
分かっているはずなのに…
その優しさすら受け取れない程、
私の余裕は底をついていました。
そして、
仕事で神経が
すり減っていた旦那も
『俺だってストレス抱えながら
仕事してるんだよ!』
『できる限り協力してるじゃないか!』
『これ以上何をすればいいんだ!』
と、優しい旦那がついに爆発。
“このままでは離婚する”
“家庭崩壊してしまう…!!”
“やはり私に余裕がないと
子供にも旦那にも優しくする
なんて無理だ”
私はいまだかつてない
家庭の危機を感じました。
「なんとかしなければ…」
“まず自分の余裕を確保したい”
“仕事やめたら家計が苦しくなるから
自由に働けて、収入も入る方法を探そう”
そう思いながら
苦手なパソコンを使って
私は家庭を守るために、
この現状を変えるために、
必死に調べ始めます。
2020年2月のことでした。
何の取柄もない主婦がネットの世界へ
今まで書いてきたように、
私はやりたいことがなく
ただ流されて生きてきたので
得意なことは
ありませんでした。
アパレル販売員だったため
パソコンも使えない。
派遣社員として
事務を経験したことで、
やっとエクセルの基礎
が理解できた程度。
“本っ当になにもない
私にもできることって
あるのだろうか…。”
不安を抱きながら
1か月間ずっと調べていました。
「自由に働けるといったら
在宅ワークだよなぁ」
「フリーランスってよく分からないけど
なんか自由で、稼いでるイメージだよなぁ」
それくらいの浅い知識で
✓主婦 在宅ワーク
✓主婦 フリーランス
という感じで調べ
続けていました。
「ライター?うーん文章書けないしなぁ」
「クラウドワークス?在宅ワーク上級者が
やるものっぽいなぁ」
「スマホで簡単!月10万!?怪しすぎ…」
「主婦が輸入物販で起業!?
なんだか難しそう…」
こんな感じで、なかなか良い情報に
たどり着けないまま1か月経った頃、
「これだ…!見つけた…!!」
「これならできそう!!」
やっと私にもできそうな
情報にたどり着きました。
それは【Googleアドセンス】
「ブログに広告を貼り、
クリックしてもらうだけで
収益が入るなんて!」
「まさに私が求めていたもの!
私でもできそうなものだ!!」
当時は、“もうこれしかない”と
思い込んでいました。
私が見つけたのは、
私と同じ、2児のママが
作成されてたブログ。
その方のブログは
アドセンス合格に向けて
色々書いてあり、
読み進めていくと
“コンサルもしている”
とありました。
私はパソコンもできないし、
特技もないし、
もちろんブログなんて
書いたことない。
アドセンスも初耳。
なにをどうしたらいいか、
初歩中の初歩すら
分からない状態。
そして、これしかないと
思い込んでいたので
人生かけて
コンサルを申し込みます。
その額6ヶ月で30万。
コツコツ貯めた私の貯金。
カード番号入力する時は
震えました…
そして、いよいよコンサルが
始まります。
思い通りにいかない現実
コンサルを受け始めてから、
私は作業時間確保のために
毎朝3時に起床。
フルタイムで働いていたので
早朝しか時間が取れず、
出勤前の2時間が
私の唯一の作業時間でした。
コンサルの教材動画を見ながら
ブログの立ち上げ。
一時停止を繰り返しながら、
「えっと、サーバー契約は…これか」
「え!?何か出てきた!!
これ押していいの!?(泣)」
一つ一つ悪戦苦闘。
パソコンに慣れてないので
サーバーという言葉すら分からない
ところからのスタート。
クリック一つするのにも、
「クリックしていいんだよね・・?」
「変なことにならないかな・・」
と、かなり時間が
かかってました。
なんとかブログを
立ち上げた後、
いよいよ記事を
書くことに!
特化ブログの方が
アドセンス申請に通りやすい
とメンターに教えてもらい、
自分が書けそうなジャンル
をまず決めました。
私は、お笑いが好きなので
お笑い芸人をテーマに設定。
『1日1記事はマスト』
というメンターや、
ネットの情報を信じ、
時には38度の高熱を出して
2日間寝込んだりもしましたが、
・フルタイム勤務
・ワンオペ育児
・ブログ執筆
という激務を
こなしていました。
そして、10記事書けた
ところでメンターから
『アドセンスに出してみましょう!』
と指示が。
「やった!これで広告を貼って
私もスタート地点に立てる!」
とワクワクしながら
Googleアドセンスに申請。
しかしその数日後、Googleから
【不合格】のメールが…
「何でっ!?この記事の何が
いけないの!?」
その後も、
申請する時に毎回期待して、
Googleから返信が来るたびに
落胆する…。
ということを繰り返し…
体力的な疲れにプラスして
精神的な疲れも
蓄積されていきました…。
そして、そんな私に
追い打ちをかける出来事が
起こります。
仕事が休みで、午前中に
記事を書いていた時、
メンターから突然
『今電話できますか?』
とLINEが。
コンサル中はほとんどLINEする
ことができなかったので
私は、
“アドバイスくれるのかな”
と期待して電話に出ました。
…そしたら…
『コロナでアドセンスが通らないので
コンサルはこれで終わりにさせてください』
と、突然のコンサル終了宣告!!
「え…?今なんて…?」
頭が真っ白になり、
最初は理解出来ませんでした。
「え?もう教えてもらえないってこと?」
「今まで費やした時間は?ブログは?」
「稼げず終了・・?」
ブログで
「辛い現状から絶対抜け出すんだ!」
という覚悟を決めて
臨んだコンサル・・・。
私の《希望》や《時間》
作った《ブログ》・・・
全て打ち砕かれ
どん底に落とされました。
コンサル期間は半年。
丁度半分過ぎた時の
出来事でした。
今まで夢中になれるものがなく、
ただ流されて生きてきた私が、
初めて真剣に目標に向かって
取り組んでいたことが
急に無くなってしまい、
悔しくて悔しくて
電話を切ったあと、
思わず泣いてしまいました。
数日後
なんとか持ち直し…
その後は独学で
記事を書き、
ASPに登録して
フィリエイト広告を
貼ったりして
自分なりに
続けていましたが、
全く収益は出ず。
「情報収集しよう!」
と、Twitterを見始めたら、
『アドセンス合格しました』
『1発でアドセンス通りました!』
のツイートがたくさん流れていて
“おめでとう”リプもたくさん…。
アドセンス合格の
ノウハウが書いてある記事を読んで
実践するも、受かることはなく
「ネットで成功する人は特別な人だけで、
私には無理な世界だったのかな…。」
「やっぱりパソコン1台で稼ぐなんて
夢物語なのか・・・」
と、諦めかけていました。
突然の出会い
「もう諦めようか…」
「やはりネットで稼げる人は
私と人種が違うんだ…」
そんな風にさまよっている時、
Twitterで運命的な
出会いがありました。
その方も、私と同じで
ブログコンサルに失敗した
過去がある、30代のパパ(Mさん)。
しかしその失敗を乗り越え、
今では独立して
家族を養っていると…。
「私と同じ過去があるのに、
今は独立してる…!?」
私は、この方がどうやって
失敗から這い上がったのか
とても興味が湧き、
TwitterからMさんの
ブログを読んでみると
圧倒的に読みやすい文章で
気づいたら最後まで
読んでいました。
「こんな文章かけるなんてすごい…」
「私もこんな風になりたい」
「他とは雰囲気違う。なんか気になる…!」
しかし、Twitterを始めてから
いきなり勧誘DMがくる
ということがよくあり、
「SNS怖い…」
と感じてしまっていたので
「まずはしっかり配信を
見てから」
と、
私はMさんの
公式LINEに登録し、
流れてくる配信を
毎日ワクワクしながら
全部読んでいました。
約1週間ほどの
配信でしたが、
そこには個人で稼ぐ為の
本質的なことがしっかりと
書かれていました。
それは、
ビジネスの本質、
集客・販売・商品という
流れを勉強しないと
“自分の力で“稼いで
いけないということ。
ということ。
✓Googleアドセンスや、
何かに依存した稼ぎ方は、
それが無くなれば稼げない
✓ブログで稼いでいる人は
みんな、『自分の商品』を売って
稼いでいる
つまり、
ネット上で“ビジネス”を
していく必要があると
その配信の中で教えて
くれたのです。
「そうか…
そうだったのか…!!」
今まで私がいた暗闇に
光が差し込んできて、
急に道が見え始めました…!!
今までネットに出てた情報は
ブロガー達のビジネス戦略で
出されたもの。
だから稼げなかったのか。
「ビジネスを“する側”
にならないと稼ぎ続けることは
できないんだ!」
もう衝撃でした。
ブロガー達が
どうやってネット上で
ビジネスをしているかなんて、
今まで誰も教えて
くれませんでした。
そこが学べる…。
「この人しかいない…!!」
「ビジネスの基礎を学んで
私も本当の稼ぐ力をつけたい!」
しかし…まだ信じ切れない
ところもあり、
「そうはいってもやはり
特別な人だけが稼げる
世界なんだろうな…」
とまだ半信半疑なところも。
Mさんはその後も
どうやって自分が独立まで
できるようになったのか、
一から教えてくれました。
Mさんは70万のアドセンスブログの
コンサル費を払い、
200記事書いたのに収益でず。
それでも、このまま終われないと、
ビジネスを基礎から徹底的に学んだと。
言われたことを素直に取り組み
継続していった結果、
いつのまにか収益が
出せるようになったと。
当時Mさんは
医療職をされていて、
私なんかより
はるかに激務な仕事を
されながら、副業。
3人目のお子さんも生まれた
ばかりという状況でした。
「失敗が怖くなかったんですか?」
「私にもできますかね…?」
そんな質問をした私に
Mさんは、
「70万のコンサル失敗したまま、それに
仕事のせいで子供の成長に関われないまま
一生を終える方が怖かったです。」
「全ては自分次第ですよ。
自分で一番自分のことを
信じてあげれば大丈夫です」
私はその言葉に、
「自分で、“自分はできない人間”と
決めつけていたんじゃ…」
「家庭崩壊だけはさせたくない…」
「失敗を失敗のまま終わらせたくない…!」
自分の奥底の
気持ちに気づいた私は、
“Mさんに教わりたい!“と
学ぶことを決意!
そしてさらに詳しく
話を聞くと、教えて頂くには
お金がかかってくると。
チャットサポートも
ついていたので
それは覚悟はしていました。
そこに提示された金額は、
主婦の私には覚悟のいる値段…。
迷いましたが、
『ここで諦めて後々後悔したくない』
『今までの経験を無駄にしたくない』
という思いが捨てきれず
学ぶことを決意!!
Mさんとの通話のあと、
娘達の迎えのため
保育園に向かいながら
「新しい世界に
飛び込んでしまったぞ・・・」
と、心臓がバクバクいっていました。
この先、不安がなかった
わけではありません。
けどその時には、
Mさんと自分を信じて
やるしかない!と
腹をくくれていました。
「あとは突っ走るだけだ…!」
これからの未来に期待して
ワクワクした気分で
保育園へ向かってました。
その日の夜、
旦那に報告。
- 外で働きながら育児するのはもう限界
- ブログを失敗したまま終わりたくない
- Mさんからビジネスの本質を学び
パソコン1台で自由に働きたい - コンサル料のこと
など全て話しました。
“家族を良くするために、
自分の人生後悔しないために
挑戦したい…!”
真剣に、旦那に思いを
伝えました。
すると旦那は
「あやの本気な気持ち、
真剣さは伝わったよ。」
「自分の人生、
悔いの無いようにやったらいいよ」
と応援してくれました。
そして、Mさんの指導がスタート。
ビジネスの基礎はすごく地味です。
まずは紙とペンを持ち、
座学で戦略を練ることから
始まりました。
でもそんな地味なことでも、
着実に前に進んでいることが
実感できてとても楽しかったんです。
それから、
出された課題をこなしては
添削してもらい、修正を
繰り返していきました。
以前のメンターは私が書いた記事を
添削してくれることはなかったので、
考え方や、やり方を
修正してくれる存在は
とてもありがたかったです。
そして言われた通りに
素直に実践。
すると1か月半でお客さんを
集めることができていて、
2ヶ月経とうとするときには
初収益が!!
「え!!?うそ!!?
えーーーー!!??!!」
パソコン画面を見た私は、
思わず叫んでしまいました…。
そしてすぐにMさんに報告!!
すごくすごく嬉しかったです。
まさか自分が本当に
収益を出すことができるなんて。
今まで記事をいくら書いても
収益にならなかったのに。
Mさんから言われたこを
素直に実践し、
ビジネスを根本から
学んでいったら
たった2ヶ月で
稼げるようになったのです。
ブログを書き続けていた時の、
「この記事読まれてるんだろうか…」
「いつになったら
ドメインパワー強くなるのか…」
「いつになったら
アドセンスに受かるのか…」
そんな悩みは一切
なくなりました。
“何をどうしたらいいか
一歩の踏み出し方もわからない…“
そんな、どん底からいつのまにか
私は這い上がっていました。
私が進む道を、
修正して方向を示してくれる
メンターがいることは
本当に心強いです。
もちろん、進むたびに何回も
壁にぶつかりました。
しかし、相談できる
メンターがいるので、
アドバイスを受けて、
試行錯誤しながら前に
進むことができました。
その後はビジネスを学びながら
さらに文章スキルを高めようと
ライティング教材に自己投資。
在宅ワークするために
勉強を継続。
そして、ビジネス始めて
4ヶ月後に収益10万を達成し、
さらにその3ヶ月後には
コンサル料を取り返します。
そして2021年4月
念願のフリーランスに!!
フリーランスになったと同時に
自動化も完成させていたので、
作業時間は半分で収益が
発生する状態でした。
自分としっかり向き合う時間が
取れるようになったことで、
私は、“ママだから”。と勝手に自分を
苦しめてたことに気づきました。
しかし、自分らしく生きるには
お金も時間もいる。
それを解決してくれたのが
フリーランスという働き方でした。
フリーランスになってから
4ヶ月後、
また旦那の転勤が決定。
私はパソコン1台で仕事が
できるので、
積み上げたキャリアを
無くす心配も
わずらわしい挨拶周りもなく
転勤についていくことができ、
引っ越し後、家族の
生活を整えてあげることも
できました。
私が好きなことをして
いつも前向きに
ニコニコしていることで、
旦那も娘達も毎日笑顔に。
「やはりママは家族の要だ…」
「ママにゆとりがないとだめだ」
「ママこそ自分の人生楽しむべきだ」
改めてそう実感しました。
こうやってビジネスを
実践しながら学んでいると、
私と同じように
在宅ワークしたくて
ブログを始めてみたけど
うまくいかなかった方や、
仕事と育児の両立で
疲弊してるママさんから
相談のメッセージがくるように。
相談を受けているうちに、
『あやさんから教えてもらうことは
できないんですか?』
と言われました。
私は勉強中の身で
力になれる自信がない、と
最初は断っていたんですが、
「ネット上で知り合った私に
声をかけてくださったということは
そうとう覚悟してきてくれたはず…。」
「せっかく私を頼ってきてくれたんだから
なんとかして応えてあげたいな…」
と、その時できる
自分の力を出し切ろうと、
教えることを始めました。
教えるということは、
その人のメンターに
なるということ。
まだ半人前で自信はなかったけど、
裏では必死に勉強しながら
私にできること全部、
伝えていきました。
そこからわずか
1カ月半、Sさんが
初収益をだします・・・!!
私と同じく、2人のお子さんを
育てながら作業されてたSさん。
家事と育児で毎日
忙しくされてましたが、
それでも、きちんとビジネスを
本質から正しく学べば、収益化できる
と、改めて実感しました。
それから本格的に
教えることをスタート。
こうしてお客さんから
感謝された時は本当に嬉しいです。
「私でも誰かの役に立てる…!!」
自分に少しずつ
自信がついてきました。
私がどんな思いで発信しているか
最初に書いていますが、
私は自分の母が、主婦業や育児、
さらに祖父母との同居で気を使い、
辛そうにしてるのを
見てきました。
母親に笑顔がない家庭は、
家族みんな暗い顏に
なってしまいます。
それは私自身
一番知っています。
私はビジネスを通して、
・母だからといって
その役割に徹することはない
・一人の女性として人生楽しみ、
輝いていた方が家族も幸せになる
と自分の気持ちが明確に
なりました。
自分の人生に満足していると
自分以外の人にも優しくなれる。
そして、前向きに
イキイキしてる人からは、
とてもいいエネルギーが生まれる。
良い連鎖が生まれるのです。
今の私の目標は、
【ママ達にライフワークを持ってもらい、
人生イキイキと楽しんでもらうこと】
今までは“私なんて…”
と諦めていましたが、
アパレル時代に
憧れた店長のように、
自分の仕事に誇りを持ち、
楽しく働きながらも
自分の人生は自分で
コントロールし、
知識に投資したり
好きな服に身を包んだり、
充実した毎日を送って
笑顔で家族に接して
いきたいと思います。
それが、私の家族がうまくいく
秘訣だと確信しています。
私は家庭崩壊寸前から
笑顔の絶えない家庭を
作ることができたので、
他のママさんたちにも
まず自分が人生を楽しめるように
好きなことをして欲しい。
ママがいつもニコニコ楽しく
していること。
それが一番家族が幸せになる方法
だと信じています。
あなたは、
「こどもがいるから」
「母親として家のことを優先しなきゃ」
と、本当は自分らしく生きたいけど
無意識にブレーキをかけたり、
諦めたりしていませんか?
あなたの人生はあなたのものです。
自分の人生の舵取りが
できるようになれば
精神的に安定し、
充実した毎日が
送れるようになります。
あなたが幸せを感じていることが
家族にとってなにより大切。
在宅ワークのスキルを
身につければ、人生の主導権を
握ることができます。
すると、どんどん前向きに
考えられるようになり
「これも挑戦してみたいな」
「私にもできるかも」
「意外と私ってこういうこと好きなのかも」
と、私がそうだったように
あなたのやりがいも
見つけられるようになります。
私はTwitterを
育児の合間で動かしたり、
ブログ記事の更新は
休みの日や、
朝30分早く起きて
書いたりして、
ここまで来ることが
出来ました。
今、家事育児、仕事で
なかなか時間がとれない方でも
きちんと本質から学べば、
結果的に効率よく
在宅ワークを成功させる
ことができます。
あなたが今、
自分の人生を心から“楽しい!”と
言えないのであれば
今が一歩踏み出す時
じゃないでしょうか。
「私にはできる自信がない…」
「今まで何やっても続かなかったから」
「パソコンも出来ないし特技もないから」
「そもそも自分とは違う世界だから」
そんな不安があるのも分かります。
私もずっと、そう思い込んで
いましたから。
しかし、
このまま何も行動を起こさなければ
未来は一切変わりません。
“人生こんなもの”
と妥協してずっと
生きていくのです。
そんな、どこか人生諦めていて
楽しくなさそうな妻、ママより、
いつもニコニコして、楽しそうに
している妻、ママの方が、
旦那さんもお子さんも嬉しいですし、
応援してくれると思いませんか?
家族のために自分を犠牲に
することが家族のためではありません。
《あなたが心から人生楽しんでること》
これこそが本当の意味で
家族の為になるのです。
辛かった幼少期を過ごし、
流されて生きてきた私も、
「人生楽しい!」と思う
ことができました。
次はあなたの番ですよ。
あなたの家族を、
あなた自身を、
笑顔にしてください。
最後までお読みいただき
ありがとうございました。
これからもよろしく
お願い致します。
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